コンタクトレンズ

コンタクトレンズの歴史

コンタクトレンズの原理からハードレンズ誕生まで

レオナルド・ダ・ヴィンチ

レオナルド・ダ・ヴィンチ

レーン・デカルト

レーン・デカルト

レオナルド・ダ・ヴィンチの原理

ダ・ヴィンチの原理

デカルトの原理

デカルトの原理
黒い筒の部分をどんどん短くして、最後は薄い膜にすれば…

1508年 Leonardo da Vinci(レオナルド・ダ・ヴィンチ)

ルネッサンス時代、ガラスの壺に水を入れ、顔をつけて目を開けたところ、外の景色が変わった事からコンタクトレンズの原理が発見されたと言われています。水を満たした球形の容器に眼をつけるイラストを使って、その視力矯正効果を論じています。 ダ・ヴィンチはコンタクトレンズの原理の創案者であると考えられております。

1636年 Rene Descartes (レーン・デカルト)

水の入った筒を眼に接触させると、見え方が変わることを指摘しております。筒の長さをどんどん短くしていけば、現在のコンタクトレンズになります。

1888年 A.Eugen Fick(オーゲン・フィック)

強角膜レンズと呼ばれるたいへん大きなレンズを、近視である自分の眼で実験して矯正を試みました。装用感が悪く短時間で充血してしまったそうです。“Eine kontactbrille”という本に記載されているkontactbrilleから現在のコンタクトレンズという名前ができました。

1889年 August Muller(アウグスト・ミューラー)

自分の強度近視(-14.0D)を矯正するため直径12mmのレンズを作成しましたが、痛みで30分しかもちませんでした。当時のレンズはガラス製で装用感も悪かったことが想像されます。

1938年 初代ハードレンズ完成

レンズの素材に改良を加えPMMA(polymethyl methacrylate)という素材を使いレンズを作成しました。このPMMA素材の登場により、今でいうハードコンタクトレンズ(HCL)の初代版として一般に普及し始めました。


その頃、日本では…
1950年

当時名古屋大学の講師であった水谷豊先生が、角膜が突出してくる「円錐角膜」の高校生(視力右0.02、左0.04)にPMMA製のレンズを作成し、右0.9左0.4までに回復させることに成功しました。

PMMAハードレンズが普及するにつれていくつかの問題が明らかになってきました。主な問題は、装用になれるまでに時間がかかること、1日の装用時間に限界があること、いろいろな自覚症状があり、装用できない場合もあること、無理な装用により角膜障害が生じること等であり、これらの問題の主原因は、HCLのPMMA素材が角膜の代謝に必要な酸素を全然透過しないためであることが判明しております。

1978年 ガス透過性ハードレンズ誕生

酸素を通す素材でできた、ガス透過性HCL(RGPCL rigid gas permeable contact lens)が FDA(米国食品医薬品局)で承認されました。

その後、酸素透過性や装用感の改善という進化を遂げながら現在のハードレンズに至ります。

ソフトレンズ誕生から使い捨て、多彩なレンズの出現

アカントアメーバ角膜感染

アカントアメーバ角膜感染

使い捨てレンズ
1961年 Wichterle

ハードレンズの強い異物感を改善するために水分を含む柔らかい素材である高分子ポリマーHEMA 2-hedroxyethyl methacrylateを用いたレンズが作られました。製造方法、レンズの形が改良されて市場に出るまでに時間がかかりましたが、これが現在のソフトレンズ(SCL)の誕生でした。

1984年 アカントアメーバ感染症出現

アメリカでコンタクトレンズ装用者の感染症が相次いで報告されました。原因は水道水中に生息している「アカントアメーバ」でした。当時市販されていたレンズ洗浄用の生理食塩水は錠剤を水道水に溶かして手軽に作れるものでした。

ソフトレンズが普及してくると、酸素透過性を向上させるためにレンズの厚みを薄く、素材の含水率を高くする改良が重ねられました。その過程の中でレンズに蓄積した汚れや蛋白質によるアレルギー性結膜炎など障害が出現するようになり、また、不完全な洗浄や消毒で感染症を引き起こすことも問題となりました。

そこで、より安全なレンズとして「トラブルを起こす前に新しいものと取り替える」という考えが生まれ、1980年代から1週間、2週間交換の頻回交換レンズ(と、3ヶ月まで使用で蛋白除去を行う定期交換レンズ)、1990年代には毎日交換1日使い捨てレンズが処方されるようになりました。

1984年 使い捨てSCL(頻回交換、定期交換レンズ)が出現
1993年 1日使い捨てレンズが登場
1日使い捨てレンズが登場した背景と特徴

ソフトレンズが出現してから理想的なレンズとして考えられていましたが、枚数が膨大になるので、それを安定的に供給する技術やシステムが待たれました。
レンズの特徴として、従来のレンズとは違い、汚れや蛋白が付着しても蓄積する前に取り替えられるので、水を含む率を高くしたり、イオン性のポリマーを用いることが可能です。また、耐久性があまり問題にならないのでレンズの厚みを薄くすることで高い酸素透過率や装用感の向上も達成できました。さらに、アレルギー疾患のある方にも安心して装用できる、理想に近い形のレンズとなりました。


その後、技術革新の恩恵を受け、乱視を矯正するトーリックレンズ(乱視用レンズ)、老視に対応したバイフォーカルレンズ(遠近両用レンズ)が作られました。

乱視用トーリックレンズ

一枚のレンズの中で厚みに差を持たせ、乱視を矯正します。ハードとソフトのレンズがあり、厳密には前面トーリック、後面トーリック、両面トーリックにわかれます。


バイフォーカルレンズ

一枚のレンズの中に近用度数、遠用度数をいれることで、近くも遠くも快適に見えるようになりました。しかしながら、このレンズは50年以上前からありますが、あまり普及しませんでした。それは、満足のいく見え方を得られる率が低かったからです。レンズの進化と処方技術の向上によりその問題も解決されつつあります。


カラーレンズと最新レンズ

屈折矯正のためだけではなく、黒目の色を変えるカラーレンズや黒目をはっきりさせるレンズも出現し、多様化するニーズに答えるようにレンズは進化していきました。黒目をはっきりさせるレンズも作られました。レンズのふちにのみ色が入っております。

装着前

装着後


院長の小話14」で瞳孔について取り上げております。


シリコーンハイドロジェルレンズ

1998年 シリコーンハイドロジェルレンズ登場

酸素をたいへん良く通すシリコーン素材のレンズが出現しました。(詳しくは「院長の小話3」を)

OXSIA
ACUVUE ADVANCE
ACUVUE OASYS
O2 OPTICS

番外編・レンズの製法の歴史

ソフトレンズが普及しだした1970年代から毎日交換レンズの構想はありました。当時レンズはレースカット法(切削研磨法)で作られておりましたが、たいへん効率が悪いものでした。その後、液状のポリマーを鋳型にいれ高速回転することで薄く延ばし形を作るスピンキャステング法や、鋳型を使うモールディング法(スタビライズド・ソフト・モルディング法)と進化していきました。

レースカット法
レースカット法

前面と後面を研磨

精巧な技術が必要で、あまり効率はよくありません。大量生産には向きません。


スピンキャスティング法
スピンキャスティング法

薄く引き延ばされレンズが完成

遠心力でレンズ素材を薄く延ばします。薄いレンズを作るには優れた製法です。(メダリストなど)


モールディング法
モールディング法

凹型にソフトレンズの材料を流し込み、凸型を合わせてレンズ形状とする。

現在、ソフトレンズの最も一般的な製法です。(1dayアキュビューなど)